ホテルルポルタージュ

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ハイアットって、どんなホテルブランド? <前編>

思えば1980年代のハイアットは建築インテリアに非常にこだわるホテルブランドだ。ハイアットが出てくる前までは、いかに効率よく限られたスペースに必要なものをおさめるかということがホテル設計を手がける建築家の使命だったんだけれど、ハイアットは逆にどこよりも省スペースとか効率を追求しつつ、同時にデザイン的なカッコよさも絶対必要条件にした。
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ビバリーヒルズで育ったホテリエ、サム・ナザリアン <後編>

イアン・シュレイガーのホテルチェーン、モーガンズ・ホテルズ・グループを買った男、サム・ナザリアン。彼は1975年、イランの首都テヘランで生まれた。父親はイラン有数の建設会社を経営する業界ではドン的存在で、叔父はパーレビ国王とも個人的に親しい実業家という、非常に裕福な一族だった。
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パンパシフィックホテルで思い出す日本のホテル界が燃えていた時代

パンパシフィック・ホテル全盛の1980年代は、バブルの時代でもあったけれど、ホテル界もすごく動きがあっておもしろい時代だった。堤清二率いる西武百貨店グループ(のちにセゾングループ)と五島昇率いる東急グループの東西両陣営が、ともに世界に目を向け、グローバルなホテル界へと、前を見つめ、果敢に船を漕ぎ出した時代でもあった。ふたりとも二代目だったことから、マスコミでもしばしばライバル同士として取り上げられていたものだった。
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ビル・ゲイツとホテル

ビル・ゲイツがフォーシーズンズ・ホテルの支配権を持つオーナーになったというニュースが世界のホテル界を駆け巡った。これまでは、サウジアラビアのアル・ワリード王子との共同所有だったが、ビル・ゲイツが王子の持分の半分を買って、その結果、71.25%の株式を保有することになり、事実上、支配権を持つオーナーとなった。売却金額は22億1千万ドル(約2,300億円)。
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変わる中国のホテル勢力図

恒大集団のデフォルト問題も、今のところ習近平総書記は問題先延ばし作戦をとっていて、恒大の借金をほかの儲かってる企業に付け替え、とにかく行けるところまで、このまま強行突破で突っ走るつもりのようだ。でも、借金を付け替えられた方はより弱いところにまた付け替えるわけで、まあ、ババ抜きゲームみたいなものだね。とりあえず目の前の火の粉は飛ばせるけど、火の粉が飛んだ先は燃える。
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いま中国のホテル界、どうなってる?

最近、中国をめぐる国際事情がいろいろ緊迫気味だけど、世界各地ではさまざまな分野に中国資本が侵出している。それはホテル界も同じで、気がつけば、そこもここもみんな中国資本って感じになってきている。そんなわけで、今回は、いまの中国のホテル界事情がどうなってるか、みてみたい。
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ビバリーヒルズで育ったホテリエ、サム・ナザリアン <前編>

ニューヨークで僕が個人的に好きなホテルのひとつだった「モーガンズ・ホテル」。「ブティックホテル」の生みの親、コンセプトメーカーでありプロデューサーが、イアン・シュレイガー氏が今までのホテル界の既成概念をぶち壊して初めてつくった"ホテルらしくないホテル"が「モーガンズ・ホテル」だった。
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アマンリゾーツ 闘いの歴史<5>

はげしい乱闘の末、勝ったのは、ヴァロージャ(ドローニンの名前、ウラジミールの愛称だよ)。エイドリアン・ゼッカー&アマナット君組は負け。
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アマンリゾーツ 闘いの歴史<4>

やっぱりね、はじまったよ、「アマン劇場」第四幕。(以下、2014年当時のお話)「アマンのゴタゴタ、知ってるかい?」って聞いたら、「記事のヘッドラインに『 Nasty, ugly battle 胸クソが悪くなるような醜い闘い』ってのが付いてるやつだろ?」と大笑い。確かに、9月に入ってからのアマンに関する記事は、それまでと風向きが一転してどこも厭戦気分。
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アマンリゾーツ 闘いの歴史<3>

ゼッカが去り、ヴァロージャ、こと ウラジミール・ドローニン新CEOのもと、アマンリゾーツがどう変わるか。ホテルって、オーナーが変わると変わっちゃうものだからね。 ゼッカが去り、ヴァロージャ、こと ウラジミール・ドローニン新CEOのもと、アマンリゾーツがどう変わるか。アマンも客層がもうすっかり変わった。この「客層」っていうのはさ、ある意味、ホテルにとってのすべてだからね。
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