ホテルルポルタージュ

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ビル・ゲイツとホテル

(C)Yangsen  ヤンセンです。 9月9日、ビル・ゲイツがフォーシーズンズ・ホテルの支配権を持つオーナーになったというニュースが世界のホテル界を駆け巡った。 これまでは、サウジアラビアのアル・ワリード王子との共同所有だったが、ビル・ゲイツが王子の持分の半分を買って、その結果、71.25%の株式を保有することになったというわけだ。 いちおう、正確に言うと、こういうことだ。ビル・ゲイツの投資会社、カスケード・インベストメントの関連会社が、フォーシーズンズ・ホテルズ&リゾーツの共同所有者であるサウジアラビアのアル・ワリード王子の投資会社、キングダム・ホールディングから同社が保有する株式の半分にあたる23.75%を取得することで合意。その結果、ビル・ゲイツが保有するフォーシーズンズの株式は従来の47.5% から71.25%となり、事実上、支配権を持つオーナーとなった。売却金額は22億1千万ドル(約2,300億円)。ビル・ゲイツはフォーシーズンズが1997年に株式公開した際に、アル・ワリード王子と共にそれぞれ47.5%ずつ株式を購入して共同オーナーとなっていた。当時の買収金額は37
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パンパシフィックホテルで思い出す日本のホテル界が燃えていた時代

(C)Yangsen  ヤンセンです。 ロンドンに「パン・パシフィック・ロンドン」が9月1日、開業したっていう「ホテルヘッドラインニュース」の記事読んで、なつかしくなった。 昔、よく泊まったなぁ、パンパシフィック・ホテル。シンガポールとかグアム、クアラルンプール、たしかバンコクにも一時あったよな。バンクーバーなんかはハーバー沿いのものすごく良いロケーションでね、地元でも人気のホテルだった。 どこもその街のトップグループに位置するようなけっこうグレイドが高いホテルで、日本の東急グループ系のホテルってことで、ここにさえ行けばまともな日本食が食べられるっていうんで、日本人旅行者の間では知られていた。まあ、1980年代頃はまだまだ変ちくりんな日本食が横行していた時代だ。 そういえば、横浜の「横浜ベイホテル東急」もかつては「パン パシフィックホテル横浜」で、ホテルジャンキーたちの間では”パンパシ” なんて愛称で呼ばれていた。 実はこのパン・パシフィック・ホテルズ&リゾーツ、今はもう東急グループではない。今から14年前、2007年にシンガポールの大手ディベロッパー、UOL グループの UO
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ビバリーヒルズで育ったホテリエ、サム・ナザリアン <後編>

(C)Yangsen ヤンセンです。<前編>の続きです。 29才にしてアメリカン・サクセス・ストーリーを実現  イアン・シュレイガーのホテルチェーン、モーガンズ・ホテルズ・グループを買った男、サム・ナザリン。彼は1975年、イランの首都テヘランで生まれた。父親はイラン有数の建設会社を経営する業界ではドン的存在で、叔父はパーレビ国王とも個人的に親しい実業家という、非常に裕福な一族だった。 ところが、1979年、彼が4才の時、イラン革命が起きる。パーレビ国王はアメリカに逃れて亡命。パーレビ派の富裕層や知識人たちもこぞってアメリカに亡命した。その多くがロサンジェルスのビバリーヒルズに定住したため、現在でも住民の四分の一がイラン系だという。ナザリアン・ファミリーもまた、イランで築いた莫大な財産を失ってアメリカに亡命し、ビバリーヒルズに身を落ち着けた。 サムは、4人兄弟の末っ子で、年が離れた兄がひとり、姉が二人いる。亡命時、サムだけまだ物心がつかない幼児で、ティーンエイジャーの兄や姉たちに比べると、アメリカ社会にもなじみやすかったにちがいない。それでも、幼な心にいろいろ感じる
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いま中国のホテル界、どうなってる?

ユーラン・グループ創業者&CEOのジャスティン・K・F・マ氏 (c)Yangsen ヤンセンです。  最近、中国をめぐる国際事情がいろいろ緊迫気味だけど、世界各地ではさまざまな分野に中国資本が侵出している。それはホテル界も同じで、気がつけば、そこもここもみんな中国資本って感じになってきている。そんなわけで、今回は、いまの中国のホテル界事情がどうなってるか、みてみたい。 中国の場合、いわゆる個人が起業した私企業と国営企業のふたつがある。 まず、私企業の場合だが、中国というお国柄、彗星のごとく登場してわが世を謳歌したと思ったら舞台は一転して暗転、一寸先は闇という例がやたらと多い。 【ウォルドルフ=アストリア・ホテルの今】でも書いたけど、アメリカの名門ホテルを次々に買収し、ニューヨークの「ウォルドルフ=アストリア・ホテル」まで手に入れたのに、ある日突然、ぜんぶ国に取り上げられ、挙げ句の果てに逮捕されたのは、安邦保険集団の呉小暉氏ことミスター・ウー。彼の場合、そもそも成り上がる過程で使ってきた「この印籠が見えぬかぁ〜」という黄門様の印籠は、妻が鄧小平の孫娘だということだったが、権
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ビバリーヒルズで育ったホテリエ、サム・ナザリアン <前編>

Sam Nazarian (C)Yangsen  ヤンセンです。  ニューヨークで僕が個人的に好きなホテルのひとつが、マディソン・アベニューからイースト37丁目をちょっと入ったところにあった「モーガンズ・ホテル」。残念ながらコンドミニアムに転用するとかで4年前にクローズしちゃったけどね。 ライムストーンのファサードのさりげない外観のホテルなんだけど、一歩なかに入るとそこはギンギラギン(挑戦的って意味でね)。1984年にオープンしたときは、ちょっと衝撃的だったね。 フランス人女性デザイナー、アンドレ・プットマンが手がけた、当時としてはかなりぶっ飛んだ ”ホテルらしくない” 斬新なインテリアデザインもすごく新鮮だったけれど、そこに集うクリエイティブな人々が独特のアンビアンスをかもしだしていて、僕にはすごく印象的だった。気張ったところや気負いはなく、ほどよい緊張感のなかでリラックスしてその場の「時間」を楽しんでいる。別に言葉を交わすわけではないけれど、ゲストたちの間ではお互いに「この感じがいいんだよね!」と通じ合う、同じ価値観を共有する者どうしの連帯感みたいな感じがあ
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アマンリゾーツ 闘いの歴史<5>

 ヤン・センです。 さてさて「アマン劇場」第五幕の幕開けだ。(以下、2014年当時のお話)  「やっぱり主役はオレ様だぜぃ、ベイビー!」 はげしい乱闘の末、勝ったのは、ヴァロージャ(ドローニンの名前、ウラジミールの愛称だよ)。 ヴァロージャ、ことドローニン (c)Yangsen エイドリアン・ゼッカー&アマナット君組は負け。 ↑ エイドリアン・ゼッカ ↓ アマナット君 (c)Yangsen (c)Yangsen  それにしてもヴァロージャ、よっぽどうれしかったんだね。彼のサイトのニュース欄がもうすごいのなんのって。もうね、勝利の鬨、雄叫びの乱舞で、アマナット君、君の負けだぜ、ベイビー! アマンはオレのものだぜ、ベイビー! 的な記事がこれでもかってくらい並んでる。アマナット君がこれ見たら(当然見てるだろうけど)、憤死しそうだね。  ロス・カボスのホテルのプールサイドで、きれいなビキニのお姉さんがにっこり笑いながら「おひとつ、いかが?」って配りに来たアイスキャンデーなめながら、タブレット見てひとりで大笑いしてたら、隣りのデッキチェアでサン
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アマンリゾーツ 闘いの歴史<4>

ヤン・センです。やっぱりね、はじまったよ、「アマン劇場」第四幕。(以下、2014年当時のお話)  何種類もの魚を丸ごとぶちこんで濃厚な出汁をとった、うまいブイヤベースが食いたくなってね、こないだマルセイユに行ってきた。岩場ビーチが好きなもんで、「ル・プティ・ニース」に宿とって、誰もいないと思って岩陰で波の音聞きながら寝ころんで昼寝でもしよ、と思ったら、先客がいた。「ビテ・シェーン」なんて言うからドイツ人かと思ったらルクセンブルクの銀行家で、自家用クルーザーでアドリア海から地中海をまわってやってきたんだってさ。 「昔はアマンジャンキーで、ほとんど全部のアマンに行ったよ」、なんて話するから、「アマンのゴタゴタ、知ってるかい?」って聞いたら、「記事のヘッドラインに『 Nasty, ugly battle 胸クソが悪くなるような醜い闘い』ってのが付いてるやつだろ?」と大笑い。 確かに、9月に入ってからのアマンに関する記事は、それまでと風向きが一転してどこも厭戦気分。もう、みんな、いい加減にしろよって感じだね。カネの匂いしかしない感じだからね。 シンガポールのアマンのオフィスの鍵を勝手に
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アマンリゾーツ 闘いの歴史<3>

ヤン・センです。さて、第三幕。(以下、2014年当時のお話)  ゼッカが去り、ヴァロージャ、こと ウラジミール・ドローニン新CEOのもと、アマンリゾーツがどう変わるか。 巷では…って、僕の場合、リゾートのプールサイドかバーがほとんどだけど、みんなのいい酒の肴になっている。ホテルって、オーナーが変わると変わっちゃうものだからね。アマンリゾーツもヴァロージャ流のアマンリゾーツになるんだろうねって言ったら、「いやいや、ずいぶん前からもう昔のアマンじゃあないよ。昔の顧客は他に移っちゃってるよ、僕も含めてね」とはイギリス人のトモダチ。確かにね、それは僕も感じることだ。客層がもうすっかり変わった。 今回のアマンリゾーツのお家騒動に関しては、「ニューズウィーク」でもブルース・ペイリング記者が「トラブル・イン・パラダイス」というタイトルで7月27日付けの記事を書いているけれど、やはり客層の変化について触れている。「いずれにせよ、アマンジャンキーの時代は既に終わっている」と記し、「アマンが出来て25年の間に、人々はより経験豊富な旅行者になり… 新しいアマンは今ではむしろ退屈なインターナショナル・
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アマンリゾーツ闘いの歴史<2>

ヤン・センです。そして、やっぱり、第二幕がはじまった。(以下、2014年当時のお話)  ヴァロージャ…。 「ヴァロージャって、あの不動産屋のウラジミール・ドローニン?」 すぐに会話はロシア語に切り替えられ、しばらくロシア語の会話となった。ボクの場合、世界各地を放浪しているうちに国籍不詳の風体になってしまったようで、その人が思いたい国の人に見えるようだ。そんなわけで、今日はロシア人の日。 なんでも、アマナット君が結局のところ買収資金の残金をひとりでは用意することができず、ロシア人の不動産ディベロッパーのヴァロージャ(ウラジミールの愛称)と組むことになったんだそうだ。 「でもね、奴が黙っているとは思えないよ」 ま、確かにおとなしくしていそうな男ではない。 新たな登場人物、ヴァロージャ、こと ウラジミール・ドローニン  この新たに加わったヴァロージャという登場人物だけれど、いわゆるパパラッチたちに盗撮される対象であることをステータスや生きがいにする、自称セレブリティー「業界」ではよく知られたひとなんだよね。ここ数年来は、スーパーモデルのナオミ・キャンベルを連れて、イビザだ
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アマンリゾーツ 闘いの歴史<1>

 はじめまして、ヤン・センです。 世の中にはアマンジャンキーという人たちがいて、ボクもアマンリゾーツのことはよく聞かれる。そこで、ごあいさつがわりに、アマンの創業者エイドリアン・ゼッカの闘いの歴史について書いてみる。  2014年の2月のことだった(以下、2014年当時のお話)。ロサンジェルスから乗った飛行機で隣席になったインド人のビジネスマンとお互いに読んでた新聞を交換し、「ジ・エコノミック・タイムス」という、インド版の日経新聞のような新聞を開いたところ、2月10日付けの記事で、こんな見出しが目に飛び込んできたんだ。 『DLFがアマンリゾーツを売却した』  あれ? これからアマンリゾーツに泊まるのに…と思って、記事を読むと、どうやら、アマンリゾーツのファウンダーであるエイドリアン・ゼッカが、オマール・S・アマナットなる人物と組んで、インドの不動産ディベロッパーのDLFから株を買い戻したということなのらしい。 なんか、前にもゼッカって、同じようなことやってなかったっけ。一度アマンを追われて、マーハ・リゾーツという新しいホテルブランドを作って再起をはかるって言ってたけ
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