「タイのホテル王」と呼ばれている男

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ヤンセンです。

「タイのホテル王」と呼ばれている男、ウィリアム・ハイネッケ氏。68才。マイナー・インターナショナル・グループ(MINT) というタイの企業の創業者&会長だが、その男、タイ人ではあるが、タイ人ではなーい。
 ん? って、どういうこと?
 って、つまり、アメリカ生まれの生粋のアメリカ人なのだけど、43才の時に米国籍を捨てタイ国籍を取得したってこと。
 タイでは有名人で、自身がオーナーでもあるザ・セント・レジス・バンコクのバンコク市街を一望できる高層階の部屋に住んでいる。
 日本ではほとんど知られていないハイネッケ氏だけど、年齢が高めの方々にはロッキー青木の鉄板焼きレストランチェーン「ベニハナ」を買収した男、というと、ああ、あの両手に長い包丁もってチャンチャンチャカチャンと踊るシェフがアメリカ人に大人気だった、あの「ベニハナ」ね、とちょっと親近感がわくかもね。
 ホテルジャンキーには、アマンリゾーツから石もて追われたエイドリアン・ゼッカ氏が捲土重来で立ち上げた「アゼライ」ブランドの第一号ホテル、ラオスの「アゼライ・ルアン・パバーン」(現 アヴァニ + ルアンパバーン)を買った男、というと、思い出してもらえるかな。
 ともかく、日本では知ってる人、ほとんどなし。んだけど、タイでは有数の富豪として知られていて、個人資産は約12億ドル(約1,300億円)。でもって、これを一代で築き上げたセルフメイドマンなんだな、彼は。

どんな男なのか?

 まず、僕の場合、いつも顔写真を見ながらイラストを描くところから始めるんだけど、タイに帰化した男と聞いてたのに、見た目にも内面からにじみ出るものにも、まったくタイ人化が見られないことにちょっと驚いた。ふつう、彼みたいにタイに少年時代から長く住んで、帰化までして根を張って生きてるっていうと、いかにもーな感じで現地に同化しているところがあるものなんだけど、彼の場合はまったく現地化してない。出自としてのアメリカ人のアイデンティティーは全く失っていない。”タイに帰化したタイ人だけど、アメリカ人らしいアメリカ人” として生きている。
 この人、人間的にもまったくクセがない人だね。アジアで生きている欧米人がしばしば持っているような独特のちょっと屈折したものとか、匂い、臭みのようなものが彼からは感じられない。ただ淡々と、ビジネスとしてすべてやってますって感じ。ん、根っからのビジネスマンだね。
 彼は、きっと皮膚感覚で知っているんだね、タイ人が憧れる欧米人感覚とかメンタリティーを。それも、よーくね。だから、白人のアメリカ人である自分が、対タイ人に対して比較優位の世界にいられる強みを、最大限ビジネスでも生かしている。外資系の外食チェーンのフランチャイズとか洋食のピザチェーンで成功をおさめたのもその辺に鍵があると思うね。逆に言うと、比較優位に立てない土俵では決して勝負しない。だから、彼は日本には進出してこないんじゃないかね。
 あとね、リスクをかけてまで大きな勝負には出ない男だね。いわゆるセルフメイドマンのなかには、一発勝負で「よっしゃー!」とリスクかけて大きな勝負に賭けるっていうタイプが結構いるんだけど、彼は違うね。ホテルビジネスの海外進出の仕方を見ても、新しい土地にまったくの自力で打って出るようなことは彼の場合ほとんどしない。よく知っているアジアは別だけどね。ヨーロッパとか南アメリカ、アフリカへの進出は、それぞれの現地のホテルグループを買収することにより、そこを伝にして展開する手口が彼のやり方。
 彼のこうした、対象にガンガン頭から突っ込むようなことはせず、ちょっと引いて、離れたところからモノを見られるっていう資質は、両親がともにジャーナリストだということもあるような気がするね。

で、どんなふうに成り上がってきたのか?

 生まれはアメリカのヴァージニア州ノーフォーク。アメリカ海軍基地があるところだ。1949年、アメリカ海軍で機関紙の編集に関わっていた父親とジャーナリストの母親のもとに生まれたウィリアム君、3才の時に、日本に単身赴任中だった父親の元に渡り、朝鮮戦争で好景気に湧く、まだまだ貧しいけれど気分は行け行けドンドン時代の日本でしばらく育った。その後、外交官に転じた父親に同行して、香港、マレーシアと渡り歩き、1963年、14才の時、バンコクへやってきた。
 14才、フォーティーン。子どもでもなく、大人でもない、端境の年頃だが、彼が並でないのは、すでにこの年にして、セルフメイドマンとしての人生を選び、実行し始めていたことだ。インターナショナルスクールに通いながら、タイの英字紙にコラムを書いて連載し、そのかわり広告枠をもらって広告営業をして稼いだ。
 そして、1967年、17才にして2つの会社を起業する。オフィス清掃業の「インター – アジアン・エンタープライズ」と広告代理店の「インター – アジアン・パブリシティー」で、これが後のマイナー・インターナショナルの母体となる。
 その後、ミスター・ドーナツ、バーガーキングなど外資系ファストフードのフランチャイズチェーンのほか、独自のピザチェーンなども展開し、20代にしてタイの外食産業界でゆるぎない地位を築いた。
 彼がはじめてホテル界に参入したのは、29才のとき。1978年、タイのバンコク郊外のビーチリゾート、パタヤで小さなホテル「ロイヤル・ガーデン・リゾート」(現 AVANI パタヤ・リゾート&スパ)を買収した。これを機にして、ホテル界へと舵を大きく切った。 
 2005年からは、タイ国外へも進出。モルディブ、スリランカ、東アフリカにホテルをオープンした。ホテルチェーンをまるごと手に入れる買収も積極的に行ってきている。2015年にはチヴォリ・ホテルズ&リゾーツの買収を通じてヨーロッパと南アメリカへ初進出。2018年にはスペインのNH ホテルグループの買収により、ヨーロッパと南アメリカへ一気に進出した。2018年には一時、インドの高級ホテルチェーン、リーラ・ホテルズの買収も試みた。
 現在、マイナー・ホテルズのもと530軒のホテルを傘下に持ち、アナンタラAVANIなどの独自ブランドのほか、nh ホテルズなど買収して傘下におさめたホテルブランドでの展開、セントレジス、フォーシーズンズ、JWマリオットなどの運営も受託している。
 最近では、外食やホテルビジネスに加えて、ライフスタイルブランド「マイナー・ライフスタイル」のもと、衣料を含むライフスタイル商品の製造・販売も行うなど多角化し、タイ有数の起業グループとなっている。
 と、まあ、典型的な立身出世物語を生きてきた男なんだけど、どうも、なんというか、僕としては彼のこと書いてて、あんましおもしろくないというか、つまんないんだよね。破天荒なところとか、規格外でめちゃくちゃなところってのがまったく見えないから。まあ、ということは、だ。冷静沈着で頭のいい、ちゃんとしたビジネスマンってことだね。

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