ウィーン「イラン核合意交渉」の舞台になってる3つのホテル

(C)Yangsen

 ヤンセンです。

 ん、なんかいま国際情勢、いろいろ動いてるけど、ウィーンでは「イラン核合意交渉」やってるね。イラン、アメリカに加えて英仏独中ロ5カ国の代表団がウィーンに集まってるわけだけど、ところでみんな、どこのホテルに泊まってるんだろ?
 ってことで、調べてみた。
 イラン代表団が泊まっているのはインターコンチネンタル・ウィーン客室数459室。1964年、インターコンがパンナム傘下にあった時代に開業したホテルだ。思えば、アメリカ人が第二次世界大戦後、我が世の春を謳歌していた(デカイ面していた)時代だったね、その頃は。
 アメリカ代表団が泊まっているのはグランドホテル・ウィーン客室数205室。1870年開業の老舗ホテルでかつては【ウィーン社交界の中心】と言われたホテル。第二次世界大戦後はオーストリア政府の所有となり20年あまりIAEA(国際原子力機構)の本部になってたんだけど、バブルの時代、全日空が買収し1994年に「ANAグランドホテル ウィーン」となった、というあのバブル象徴のホテル(2002年に売却)。
 5カ国の代表団が泊まってるのはホテル・インペリアル・ウィーン。元宮殿だった建物を1873年のウィーン万博の時にホテルとしてオープンした、まあ、ウィーンを代表するホテルだね。2002年には平成天皇皇后両陛下がお泊まりになった。いろいろな歴史の舞台になったホテルだけど、ヒトラーは若い時にこのホテルで日雇い従業員として働いていたことがあり、1938年にオーストリア併合を成し遂げてウィーン入場した際にはこのホテルにVIPとして迎えられ、パーマネント・スイートを設けた・・・って、ん、なんとなく気持ち、わかるね、人間だもの。一時、イタリアのサルディニア島の高級リゾート、ポルト・チェルヴォの開発でも知られるアガ・カーンが所有していたけど、スターウッドが買収して、今はマリオットのラグジュアリー・コレクション・ブランドのホテル。
 それぞれのホテルの格は、「インペリアル」「グランド」がともに実勢レートが1泊340ユーロ程度(約45,000円)でほぼ同格、ウィーンでもトップクラスのグレイドで、インターコンが実勢レート140ユーロ程度(約18,500円)とだいぶグレードが落ちるって感じ。
 で、イランとアメリカは表向き直接交渉はしないことになってるので、それぞれ「グランドホテル」にいる5カ国の代表団に意向を伝え、相手側に伝言してもらって、またその返事を受け取って持ち帰る、という水面下の交渉が行われているらしい。「グランドホテル」と「インペリアル」は目と鼻の先で直線距離100メートルくらいなんだけど、「インターコン」はちと離れていて直線距離500メートルくらい。そこを行ったり来たり。このITの時代でも外交交渉はアナログだね。
 たぶん、世界各国のスパイたちもただいま鋭意活動中なんだろうけど、おかげでウィーンのホテル業界、繁盛しているんだろうね。

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「ウォルドルフ=アストリア・ホテル」の今

(C)Yangsen

 ヤンセンです。

 そういえば、あのホテル、今どうしてるんだろ?
 ニューヨークのウォルドルフ=アストリア・ホテル。アメリカを代表するホテルといわれてたホテルだけど、気がつけば中国政府の管理下に入っちゃってたホテル。
 ホテル、といってもタダのホテルではないんだな、コレが。世界各国から訪れる国賓クラスのVIPたちの定宿であり住居であり、アメリカの歴代大統領たちのニューヨークにおける定宿であり、国連大使の公邸もあったホテル。
 1893年開業の老舗ホテルで、1931年に場所を移して再開業したのだが、「アメリカ国民に自信と勇気を与えた」とフーバー大統領が開業の挨拶で語り、大恐慌後の暗い不況ムードのなか、毎日 全館に灯りを煌々とつけて人々の心を明るくさせたと語り継がれている。そんな、アメリカ人にとっては精神的シンボルでもある特別なホテルなのに、中国政府の管理下のホテルだなんて…。
 さすがに、まずいよなぁ、これは…と誰でも思うだろうね。そこで、今どうなってるかチェックしてみた。
 公式サイトには「現在大規模な改装・改修工事のため休業しております。営業再開は2〜3年後を予定しております。」と出ている。ふーん、ってことは、まだちゃんと決まってないのか。サイトを見ると、ホテルの写真が見られるギャラリーとかほとんど落とされちゃってて、トップページのみなんだけど、そこにこんな記述が・・・。
【当ホテルの豪華な客室と広々としたスイートをギャラリーでご覧ください。1,415室の客室とスイートには、ゆったりとした大理石のバスルームをはじめ、無料でケーブルチャンネルをお楽しみいただけるフラットテレビ、Wi-Fiを完備。どの部屋も建築当初のアールデコモチーフでまとめられています。】
 これっていつの話?って感じだけど、さらに驚いたことには、【ご宿泊予約は244ドル〜】なーんて書いてあるので、じゃ予約してみよっとクリックしてみると、【現在ご利用できません】となるし。ようするに、誰も手をつけないまんま、放置されちゃってるってこと。いいのかね、天下のヒルトンが、ウォルドルフ=アストリア が。
 そんななか、唯一、元気に日々、朗々と情報発信しているのは、フェイスブックの公式サイト「Waldorf Astoria New York@TheWaldorf」。で、記事の内容はといえば、ウォルドルフ=アストリアのホテルブランドを支える過去の栄光の歴史とエピソードの数々、そして、分譲予定のコンドミニアムの中にそれがいかに反映されているかの PR、さらにはコンドミニアムのセールスチームの紹介とか。うーん、もう徹底してこれしかやらないってとこが、スゴイよね。
なので、コメント欄には「そんなことより、ホテルがどうなるのかについて書いてくれませんか?」とか「ホテルはどうした?」なんて書かれてる。
 ん。だから、ようするに、ホテルのブランド力を最大限に利用して、そういうのにめっちゃ弱〜い世界各地に生息する「カネはたんまり持ってるぜ!」というリッチピープルたちに、高額のコンドミニアムをブランド力が効くうちにガンガン売りつけちゃおう!ということだね。
 肝心のホテルの方はどうかっていうと、昔の名前のままで、ただただそこに存在すればいいってこと。思えば、まあ、「プラザ」の場合もそうだったもんなぁ。今の「プラザ」はもうかつて “プラザ合意” をしたあの「プラザ」ではない、まったく別物だからね。

ブランド力を支えていたのは何なのか?


 もともとヒルトンの創業者コンラッド・ヒルトンが、このホテルがどうしても欲しいと恋焦がれた末に1949年、ようやく手に入れたホテルで、長い間、ヒルトンの旗艦ホテルだったこのホテル。ヒルトンは売却時の契約に「100年間ヒルトンが運営に携わる」という条項があり、再オープン後の運営を受託してる。ってことで、これからもウォルドルフ=アストリアの名に恥じぬよう頑張りまーす!的なこと言ってるけど、あのホテルを支えていたのは「人」
 まず、客層。昨今は往年に比べるとずいぶんレベルが落ちたとはいえ、国賓クラスや米大統領など錚々たるVIPゲストが利用し、そういうゲストが満足するサービスをするために日々切磋琢磨していたスタッフたちがいた。それら両方があいまって、あのホテル独特のアンビアンスを作り出していたのだ。そのいちばん大切なものがなくて、インテリアは昔と同じにしたし、新しいからもっといいでしょ、とただ舞台だけ作っても、役者がいなくては、魂が抜けた箱にすぎない。と、僕は思うけどね。

アメリカの精神的シンボルが中国政府のホテルになるまで

 そもそもは、これが始まりだった。2007年、ヒルトンホテルズが投資ファンド運用会社ブラックストーン・グループに買収された。その結果、「ウォルドルフ=アストリア」も同グループの所有となったのだが、彼らがこのホテルを売りに出してしまったのだ。
 2014年、中国の安邦保険集団が19億5000万ドル(当時のレートで約2,100億円)という、ホテルとしてはアメリカ史上最高額で「ウォルドルフ=アストリア」を買収した。
 これをきっかけに長年のこのホテルを愛した顧客たちが去って行く。2015年には、アメリカ合衆国国務省は防諜の危険を理由にこのホテルを以後いっさい利用しないことを発表し、当時のオバマ大統領も泊まるのをやめた。米国連大使の公邸もあったが、引っ越した。
 ヒルトンの親会社のブラックストーン・グループは、2007年上場時に中国の政府系ファンドである中国投資有限責任公司が30億ドル相当の非議決権株式を取得したため、ブラックストーンが保有するアメリカの軍事・衛星技術関連の情報が中国政府に渡るのではと疑問視されていた会社。火種はすでにあったのだ。
 そうこうするうちに、安邦保険集団が「ウォルドルフ=アストリア ・ホテル」で何をしようとしているかが明らかになる。【ホテルの客室の大部分はコンドミニアムとして分譲するため、2017年春から3年間ほどホテルはクローズする。ホテルとして残すのは300〜500室程度である】、と。ホテル界のみならず、アメリカ社会に衝撃が走ったが、2017年2月、ホテルは結局クローズすることになった。
 ところが、6月に入り、局面が変わる。安邦保険集団の会長ウー・シャオフゥイ氏が中国当局により拘束されたのだ。8月には中国政府が安邦保険集団に同社が保有する海外資産を売却し、その売却資金を中国本土に戻すよう求めた。
 そして、2018年2月23日付で、中国政府ならびに中国保険監督管理委員会(CIRC)が「ウォルドルフ=アストリア・ホテル」のオーナーである安邦保険集団を政府の管理下に置いた。その結果、ホテルも中国政府の管理下に置かれることになった。

競合相手はみんな高級ホテルブランドが売り

 ところで、ただいまマンハッタンでは、有名ホテル併設の超高級コンドミニアムが続々と登場予定。競合相手は多い。
 たとえば、アマンリゾーツはほぼ同時期に、アマン・ニューヨーク客室数83室と併設したコンドミニアムを開業予定。五番街&56丁目というロケーションで、15階〜30階まででわずか22室という豪華版で売値は1,350万ドルから。5フロア占有のペントハウスは18,000万ドルで契約済み。こちらも「アマン」というブランド力を最大限に利用して、世界のリッチピープルを引き寄せようとしている。
 アジア発のウェルネスを売りにしたラグジュアリー・ブランド、シックスセンシズもハドソンヤードのツインタワーに豪華スパを併設した超高級コンドミニアム 236室を開業予定。
 ブラジルのホテル・グループ、ファザーノも五番街で「メンバーズ・オンリー・プライベート・ビルディング」で超高級コンドミニアムを開業予定。賃料は月額1,000万ドル。
 と、まあ、リッチピープルにとってはよりどりみどりのマンハッタンの超高級コンドミニアム事情。
 というわけで、激戦地でコンドミニアムを売ることで頭がいっぱいのオーナーサイドのようだけど、忘れてほしくないなぁ、ホテルの方の「ウォルドルフ=アストリア 」。

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「タイのホテル王」と呼ばれている男

(C)Yangsen

ヤンセンです。

「タイのホテル王」と呼ばれている男、ウィリアム・ハイネッケ氏。68才。マイナー・インターナショナル・グループ(MINT) というタイの企業の創業者&会長だが、その男、タイ人ではあるが、タイ人ではなーい。
 ん? って、どういうこと?
 って、つまり、アメリカ生まれの生粋のアメリカ人なのだけど、43才の時に米国籍を捨てタイ国籍を取得したってこと。
 タイでは有名人で、自身がオーナーでもあるザ・セント・レジス・バンコクのバンコク市街を一望できる高層階の部屋に住んでいる。
 日本ではほとんど知られていないハイネッケ氏だけど、年齢が高めの方々にはロッキー青木の鉄板焼きレストランチェーン「ベニハナ」を買収した男、というと、ああ、あの両手に長い包丁もってチャンチャンチャカチャンと踊るシェフがアメリカ人に大人気だった、あの「ベニハナ」ね、とちょっと親近感がわくかもね。
 ホテルジャンキーには、アマンリゾーツから石もて追われたエイドリアン・ゼッカ氏が捲土重来で立ち上げた「アゼライ」ブランドの第一号ホテル、ラオスの「アゼライ・ルアン・パバーン」(現 アヴァニ + ルアンパバーン)を買った男、というと、思い出してもらえるかな。
 ともかく、日本では知ってる人、ほとんどなし。んだけど、タイでは有数の富豪として知られていて、個人資産は約12億ドル(約1,300億円)。でもって、これを一代で築き上げたセルフメイドマンなんだな、彼は。

どんな男なのか?

 まず、僕の場合、いつも顔写真を見ながらイラストを描くところから始めるんだけど、タイに帰化した男と聞いてたのに、見た目にも内面からにじみ出るものにも、まったくタイ人化が見られないことにちょっと驚いた。ふつう、彼みたいにタイに少年時代から長く住んで、帰化までして根を張って生きてるっていうと、いかにもーな感じで現地に同化しているところがあるものなんだけど、彼の場合はまったく現地化してない。出自としてのアメリカ人のアイデンティティーは全く失っていない。”タイに帰化したタイ人だけど、アメリカ人らしいアメリカ人” として生きている。
 この人、人間的にもまったくクセがない人だね。アジアで生きている欧米人がしばしば持っているような独特のちょっと屈折したものとか、匂い、臭みのようなものが彼からは感じられない。ただ淡々と、ビジネスとしてすべてやってますって感じ。ん、根っからのビジネスマンだね。
 彼は、きっと皮膚感覚で知っているんだね、タイ人が憧れる欧米人感覚とかメンタリティーを。それも、よーくね。だから、白人のアメリカ人である自分が、対タイ人に対して比較優位の世界にいられる強みを、最大限ビジネスでも生かしている。外資系の外食チェーンのフランチャイズとか洋食のピザチェーンで成功をおさめたのもその辺に鍵があると思うね。逆に言うと、比較優位に立てない土俵では決して勝負しない。だから、彼は日本には進出してこないんじゃないかね。
 あとね、リスクをかけてまで大きな勝負には出ない男だね。いわゆるセルフメイドマンのなかには、一発勝負で「よっしゃー!」とリスクかけて大きな勝負に賭けるっていうタイプが結構いるんだけど、彼は違うね。ホテルビジネスの海外進出の仕方を見ても、新しい土地にまったくの自力で打って出るようなことは彼の場合ほとんどしない。よく知っているアジアは別だけどね。ヨーロッパとか南アメリカ、アフリカへの進出は、それぞれの現地のホテルグループを買収することにより、そこを伝にして展開する手口が彼のやり方。
 彼のこうした、対象にガンガン頭から突っ込むようなことはせず、ちょっと引いて、離れたところからモノを見られるっていう資質は、両親がともにジャーナリストだということもあるような気がするね。

で、どんなふうに成り上がってきたのか?

 生まれはアメリカのヴァージニア州ノーフォーク。アメリカ海軍基地があるところだ。1949年、アメリカ海軍で機関紙の編集に関わっていた父親とジャーナリストの母親のもとに生まれたウィリアム君、3才の時に、日本に単身赴任中だった父親の元に渡り、朝鮮戦争で好景気に湧く、まだまだ貧しいけれど気分は行け行けドンドン時代の日本でしばらく育った。その後、外交官に転じた父親に同行して、香港、マレーシアと渡り歩き、1963年、14才の時、バンコクへやってきた。
 14才、フォーティーン。子どもでもなく、大人でもない、端境の年頃だが、彼が並でないのは、すでにこの年にして、セルフメイドマンとしての人生を選び、実行し始めていたことだ。インターナショナルスクールに通いながら、タイの英字紙にコラムを書いて連載し、そのかわり広告枠をもらって広告営業をして稼いだ。
 そして、1967年、17才にして2つの会社を起業する。オフィス清掃業の「インター – アジアン・エンタープライズ」と広告代理店の「インター – アジアン・パブリシティー」で、これが後のマイナー・インターナショナルの母体となる。
 その後、ミスター・ドーナツ、バーガーキングなど外資系ファストフードのフランチャイズチェーンのほか、独自のピザチェーンなども展開し、20代にしてタイの外食産業界でゆるぎない地位を築いた。
 彼がはじめてホテル界に参入したのは、29才のとき。1978年、タイのバンコク郊外のビーチリゾート、パタヤで小さなホテル「ロイヤル・ガーデン・リゾート」(現 AVANI パタヤ・リゾート&スパ)を買収した。これを機にして、ホテル界へと舵を大きく切った。 
 2005年からは、タイ国外へも進出。モルディブ、スリランカ、東アフリカにホテルをオープンした。ホテルチェーンをまるごと手に入れる買収も積極的に行ってきている。2015年にはチヴォリ・ホテルズ&リゾーツの買収を通じてヨーロッパと南アメリカへ初進出。2018年にはスペインのNH ホテルグループの買収により、ヨーロッパと南アメリカへ一気に進出した。2018年には一時、インドの高級ホテルチェーン、リーラ・ホテルズの買収も試みた。
 現在、マイナー・ホテルズのもと530軒のホテルを傘下に持ち、アナンタラAVANIなどの独自ブランドのほか、nh ホテルズなど買収して傘下におさめたホテルブランドでの展開、セントレジス、フォーシーズンズ、JWマリオットなどの運営も受託している。
 最近では、外食やホテルビジネスに加えて、ライフスタイルブランド「マイナー・ライフスタイル」のもと、衣料を含むライフスタイル商品の製造・販売も行うなど多角化し、タイ有数の起業グループとなっている。
 と、まあ、典型的な立身出世物語を生きてきた男なんだけど、どうも、なんというか、僕としては彼のこと書いてて、あんましおもしろくないというか、つまんないんだよね。破天荒なところとか、規格外でめちゃくちゃなところってのがまったく見えないから。まあ、ということは、だ。冷静沈着で頭のいい、ちゃんとしたビジネスマンってことだね。

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