ロバート・デニーロにとってのホテルビジネス

(C)YANGSEN

ヤンセンです。

 サッカー選手でホテルビジネスやる人はけっこう多いという話はロナウド選手の記事のときに書いたけれど、俳優で実はホテルオーナーでもあるという人も多い。たいていが自分の趣味と実益を兼ねて一軒ばかりホテルを持っているってケースだけど、なかにはビジネスとして本格的に取り組んでいる映画スターもいる。
 そのひとりが、ロバート・デニーロ、77才。
 二度アカデミー賞を受賞したハリウッドを代表する俳優のひとりだ。
 そして、バリバリの現役のホテリエでもある。
 ニューヨークのトライベッカにグリニッジ・ホテル客室数88室を所有しているのはよく知られているが、それとは別に、寿司職人だった松久信幸氏と共同オーナーでノブ・ホテルズというグローバル・ホテルチェーンも展開している。
 デニーロほどの超有名人だったら、自分の名前を前面に出したホテル展開しても良さそうに思えるけど、彼は自分は一歩さがって黒子に徹してる形をとり、ノブを表に立てる展開を選んだ。
 その理由は … 今回、イラストを描くので二人のツーショット写真を見てよくわかったね。
 まず、デニーロという人は非常に頭がいい人。そんじょそこらの人ではかなわない。
 そして、二枚も三枚も、いやもっとかな、何枚もの “衣” を被った “奥の間” をもった人だ。
海千山千のジャーナリストたちも簡単に手玉に取られているようだ。彼がインタビューなんかで答えた言葉をもとにして、デニーロっていうのはシャイだとか、あーだこーだと評しているけれど、そんなのはどれも彼がこう書いてほしいと思うことを書かされているだけじゃないかな、と僕は思う。とにかく人を煙に巻くのがうまい男だ。
 デニーロノブの関係をひと言で言うと、「中身」と「包装紙」の関係
中身、つまり考えているのはすべてデニーロで、ノブは自分の位置どりや役割をよーくわかった上で、それを演じているだけ。まあ、あうんの呼吸だろうけどね。その点、ノブも身のほどわかった頭がいい人だ。
 デニーロノブの出会いは、寿司職人だったノブがビバリーヒルズで出したジャパニーズレストラン「MATSUHISA」に客としてデニーロが訪れたことだったと言われている。店の常連客になったデニーロノブにレストランの共同経営を持ちかけ、ニューヨーク、ミラノ、ロンドンなど世界各地で展開するレストランチェーン「NOBU」をまず成功させた。
 そして、「NOBU」の出店先の多くが高級ホテルであることに目をつけたデニーロ「NOBU」のブランド力を使ってのホテルビジネスを考えた。ノブ・ホテルズを展開しているノブ・ホスピタリティーには映画プロデューサーのマイアー・テパー氏も共同経営者として加わっている。
 ノブ・ホテルズは現在、ロンドンやバルセロナなど世界各地で13軒のホテルを展開中で、マラケシュ、テルアビブなどでも7軒のホテルが開業準備中だ(レストランは47軒展開中)。カリフォルニアのマリブで開業した旅館スタイルのノブ・リョカン・マリブはオラクル創業者で最近はホテリエとしても熱心なラリー・エリソンと組んだホテルだ。

元妻の訴えで明らかになったコロナ下のデニーロの財政悪化

 さて、ずっと好調と言われてきたデニーロのホテルビジネスだが、実は、コロナの影響でかなりの打撃を受けていることがわかったのは、妻との離婚裁判を通してだった。2018年から離婚係争中の妻のクレジットカードの利用限度額をデニーロが財政悪化を理由に半額にしたところ、これに断固納得しない妻がこれまで同様に生活費として月額10万ドル(約1,100万円)の限度額に戻すよう法廷に緊急命令を求めた。それにより争いの内容が公になった。
 デニーロと20年間の結婚生活を送り、息子をひとりもうけた妻はアフリカ系アメリカ人の女優グレイス・ハイタワーだが、そもそも離婚裁判がこれほどまでに長引いている原因は、資産総額5億ドル(約550億円)といわれるデニーロの財産分与問題が妻の合意というか納得をみないこと、ようするにカネの問題。どこもみんなカネがからむと問題はむずかしくなるね。
 今回の調停にはデニーロもリモート出廷したそうだけど、コロナの影響で自分が出資しているレストランチェーン「Nobu」と「グリニッジホテル」などが営業停止や営業縮小になり、「Nobu」だけでも4月に300万ドル(約3億3,000万円)、5月には187万ドル(約2億円)の損失が見込まれるなど財政悪化しているため、妻のクレジットカードの利用限度額を半額にせざるを得なかったと主張したそうだ。なんせホテル界はいまどこも大変だからね。デニーロのところもマジで懐事情は厳しいと思う。
 でも、なんとかがんばってほしいね。
 I’m watching you! 見張ってるよ!
 って言ったら、こんなセリフが返ってきそう・・・
You talkin’ to me?
なんか用か?

*どっちも彼の映画の名セリフなんだけど、「I’m watching you!」はコロナ下のニューヨーク市民に向け、みんな大切な人を守るためにマスクするとか規則を守ろうよ!とデニーロが語ったビデオの最後で決めセリフとして言って大いに受けてたやつ。

ハイアットってどんなホテルブランド?<後編>

ハイアット創業者 ジェイ・プリツカー   (C)Yangsen

 ヤンセンです。
 前編の続きです。

 実はハイアットっていう会社、2009年に株式公開するまでいわゆる非公開会社だった。どういうことかというと、ようは勝手に株の売買や譲渡ができない会社。知らないうちに株を買われて乗っ取られたり、経営支配権を奪われたりといったリスクを避けるために、あえて上場せず非公開にしている有名企業もけっこうある。日本でもサントリーなんかがそうだ。ハイアットの場合、オーナーのプリツカー家が銀行も持っているアメリカ有数のリッチ・ファミリーだったから可能だったということもあるけどね。
 プリツカー一族について少し触れておくと、ハイアット創業者のジェイ・プリツカー氏の祖父母は、1880年代にロシアや中欧で多発した「ポグロム」と呼ばれる反ユダヤの「焼き討ち」を逃れ、1881年にウクライナ・キエフからアメリカ・シカゴに移住したユダヤ系ウクライナ人移民。祖父はアメリカで弁護士となり、その三人の息子たちも後を継いで兄弟で法律事務所を営んでいたが、ジェイ・プリツカー氏の父が不動産会社を起こし、シカゴを中心に不動産投資で成功した。彼の兄弟たちも事業を起こして成功。そのひとりロバートのコングロマリット企業 マーモン・グループはのちに有名投資家のウォーレン・バフェット氏が買って話題になった。
 というわけで、プリツカー家は移民して第三世代目の時代にアメリカ有数の富豪一族となった。
 さて、1980年のパークハイアットグランドハイアットの2つのブランド登場以降、ハイアット・リージェンシーも加えた3ブランド体制でずっとやってきたハイアットだったが、「ハイアットのお家騒動」と世に言われる骨肉の争いが表面化したのは、2003年のことだった。
 原因はいろいろ言われているけれど、結局はカネ。会社が非上場会社なので、どんなに株を持っていても配当金としてしかカネは入ってこない。しかも勝手に売り買いすることもできない。『オレは今、カネが欲しいんだ! もし、上場したらオレはスゴイ金額を手にできるのに、なぜやらないんだ!』という不満がプリツカー家 第四世代目たちの間でふつふつと大きくなっていた。
 時代がそういう時代でもあった。2003年といえば、春にイラク戦争が終わり、アメリカ経済はいちはやく回復。ヨーロッパでは景気停滞、アジアはSARSの流行で景気が落ち込むのを横目に、アメリカの一人勝ち状態で株価は右上がりだった。誰々の会社が上場して巨額のカネを手にした、なんていう話がアメリカでもそこここであった時代。そう、アメリカのバブルの時代。
 ホテル界では、世紀の変わり目の頃からファッション・ブランドのホテルビジネス参入がはじまっていたが、この頃はなだれを打つように続々とブランド名をホテル名にしたホテルが世界各地に登場していた。ヴェルサーチブルガリアルマーニ、そして、LVMH。同時にかつてスターウッドが「かけ算」の論理をホテル界に持ちこんだと言われたファンドがホテル界を席巻し、 “デリバティブ的発想” によりホテル界の構造的な組み替えが行われようとしていた時だった。
 つまり、カネと頭の使いようで、手持ちの資金を何倍どころか何百倍にも何千倍にも増やすことが可能という機運に満ちていた。そんな時代、なまじカネのなる木を持っておとなしくしていられる人は珍しいだろう。人間だもの・・・。
 なんせカネを巡る争いなもんで、みんなガチで挑み、すったもんだがありましたの結果、ハイアット家の11人(離婚された後妻の子も含めて13人の説もある)の第四世代の相続者たちは一人当たり約13億5千万ドル(当時のレートで約1,330億円)ずつ手に入れた。
 そして、2009年、創業以来、非公開会社だったハイアットは上場して公開企業となった。
 ハイアットのブランドがわかりにくくなったのは、ここからだった。

ハイアットのホテルブランド、迷走の歴史

 以下、ハイアットのホテルブランドの歴史をいちおう書いておくと、

2006年 ハイアット・プレイス登場。長期滞在ホテルブランド、サマーフィールド スイー ツを買収し、「ハイアット サマーフィールド スイーツ」にリブランド。
2007年 ロンドンにANdAZ登場。
2012年 ハイアット・サマーフィールド・スイーツがハイアット・ハウスにリブランド。
2013年 オール・インクルッシブ・リゾートハイアット・ジーヴァ&ハイアット・ジラーラ登場。
2015年 ライフスタイルホテルブランドハイアット・セントリック登場。
2016年 ジ・アンバウンド・コレクション・バイ・ハイアット登場。
2018年 「アリラ」と「トンプソン・ホテルズ」を買収した結果、新しいホテルブランドとしてアリラ」「デスティネーション・バイ・ハイアット」「jdv バイ・ハイアット」「トンプソン・ホテルズが加わる。
2019年 パーソナル・コネクションをインスパイアするライフスタイル・ブランドとしてキャプション・バイ・ハイアットUrCoveが加わる。「UrCove」は、BTG Homeinns Hotels Group とのジョイント・ベンチャーで、中国人のフリクエント・トラベラーの増加に伴い拡大しつつある中国の高級ホテルマーケット向けのブランド。

 現在、ハイアット傘下のホテルブランドの数は18あり、それを以下の3つのグループに仕分けしている。

「タイムレス・ポートフォリオ」… ハイアットのクラシック・ブランド
「バウンドレス・ポートフォリオ」… ライフスタイル・ブランド
「インデペンデント・コレクションズ」… ソフトブランディッドな独立系
 
 ・・・なんだそうだ、ハイアット側が言うには、ね。
 しかし、ユーザー側から見ると、どういう基準で分けたのかぜんぜんよくわからん、というのが正直なところ。以前ならば、パッと見て、あ、ここはハイアット系だなとわかったんだけど、今では言われないとわからないホテルブランドも多い。各ホテルブランド間での棲み分けや、ブランドの個性というものも、よくわからなくなってきているし。
 これだとそもそもブランドの意味がない、っていうのが今の現状だ、と僕は思うんだけどね。

ハイアットって、どんなホテルブランド? <前編>

 ヤンセンです。
 今回は、ハイアットのホテルブランドについて書いてみたい。
 ハイアットって、いい響きだよね? なんだかキリッとシャープで洗練された感じがする。
 プリツカー・ファミリーが創業家なんだけど、ハイアットの第一号ホテル、ロサンジェルス国際空港の近くのモーテル「ハイアット・ハウス」を1954年に開業したのがハイアット・ロバート・フォン・デン氏でね。そのホテルを1957年に220万ドルで買ったのが、ジェイ・プリツカー氏。買った後も名前を変えず「ハイアット・ハウス」として営業を続け、チェーンの名前もハイアットにしたってわけだから、彼もハイアットっていい名前だって思ったんだろうね。
 プリツカーっていうと、建築のノーベル賞といわれるプリツカー賞が有名だけど、この賞が生まれるきっかけになったのは、1967年にアトランタに開業したハイアット・リージェンシー・アトランタだった。地元出身の建築家ジョン・ポートマン氏が設計したホテルなんだけれど、当時はじめてホテルに使われた22階吹き抜けのアトリウム・ロビーとシースルーエレベーターで人々の度肝を抜き、世界的に話題になった。ジェイ・プリツカー氏もいたく感動して、「建築には人の心を動かすパワーがある」と建築に興味を持つようになったんだそうだ。そうして1979年にプリツカー賞を作った。
 話はちょっとそれるけれど、ちょうどアトランタ・オリンピックの前の年だったか、建築雑誌に頼まれてジョン・ポートマン氏のインタビューに行った。「ハイアット・リージェンシー・アトランタ」のアトリウムロビーに入るとワクワクしてすごく楽しい気分になるって言ったら、「そうだろ、そうだろ? ホテルってのはね、楽しくなくっちゃね!」ってうれしそうだった。彼が手がけたビルでは「このドアのここんとこのシェイプも僕がデザインしたんだよ、あ、このちっちゃなネジもね」って感じでひとつひとつ細いところまで説明してくれた。当時はもう70才越えてたけど、実にエネルギッシュで闊達で話していて楽しい人だったね。

ハイアットらしさって何?

 さて、ホテルブランドとしてのハイアットの話にもどる。
 こうした創業者の建築好きの流れもあって、建築インテリアに非常にこだわるホテルブランドだ。ハイアットが出てくる前までは、いかに効率よく限られたスペースに必要なものをおさめるかということがホテル設計を手がける建築家の使命だったんだけれど、ハイアットは逆にどこよりも省スペースとか効率を追求しつつ、同時にデザイン的なカッコよさも絶対必要条件にした。
 アマンリゾーツもデザインにこだわるホテルブランドとして知られているけれど、アマンの前後泊に泊まるホテルにハイアット系を選ぶ人ってけっこう多いんだよね。
 ハイアットにハイアット・リージェンシーに加えて新しいホテルブランドグランドハイアットパークハイアットが加わったのは、1980年のことだった。ニューヨークのグランドハイアット・ニューヨークとシカゴのパークハイアット・シカゴで、グランドハイアットの方はいわゆる “グランドホテル” 的機能をもった中規模ホテルで、パークハイアットは都市の “隠れ家” 的な小規模ホテルと当初は性格づけられていた。パークハイアットは最初はけっこう地味目な設定だったんだけれど、1994年開業のパークハイアット東京の成功もあり、その後、より高級路線のパーソナルタッチのホテルが求められる時代の流れもあって、だんだんハイアットの中では最高級グレイドのホテルブランドみたいになっていったって感じだね。
 一方、ハイアットリージェンシー・ブランドは、コンベンション機能を併せ持つ大型ホテルやリゾートでの展開に広げられていった。とりあえず パークハイアットグランドハイアットをはずれる ”その他” を全部吸収していったって感じかな。
 思えば1980年代のホテル界はハイアットが制していたね。ハイアットが次々と繰り出す新手をほかのホテルチェーンが追随して追っかける感じだった。
 たとえば、バスルーム。オーストラリア・シドニーのパークハイアット・シドニーの思い切ったバスルームのスペース使いとシティホテルのバスルームでのリラクゼーションを目的としたバスタイムの提案は後の「パークハイアット東京」につながり、パークハイアット・ブランドの目玉のひとつとなった。
 あとね、ハイアットのカッコよさは、スタッフのユニフォームにもみられる。ハイアットでは、ユニフォームはあくまでも「舞台衣装」。さらに言えばインテリアの一部と考えられていて、その土地の民族衣装とかローカル性を取り入れつつ、都会的で洗練されたスタイルに仕上げるのがハイアット流。そして、バックヤードのスタッフたちはシンプルに決めてブラックに統一。これがまたカッコいいんだよね。
 あと、ハイアットらしさっていうと、料飲だね。ホテル界では「FB(料飲)に強いハイアット」って言われていて、ハイアットのFB出身者は転職の際に強みになる。
 なにが違うのかというと、たとえばビュッフェ。料理のプレゼンテーションにもデザイン感覚を持ち込んだ。それまでは、単に料理を並べるだけだったビュッフェの世界に、見るだけでわくわくして楽しくなるような魅せるビジュアルや、楽しさといったものを持ち込んだ。
 昨今、デザインホテルだのブティックホテルだの、ライフスタイルホテルだのって、どこもかしこもデザインにこだわるってのが主流になっているけど、そもそもはハイアットが始めたことだったってわけ。
 というわけで、後編に続きます。

世界の王室とホテル

(C)Yangsen

ヤンセンです。

 ちょうど今頃の季節だったけど、昔、ロンドンのリッツの廊下でお付きをいっぱい連れたデュバイの王族におおげさに頭を下げて挨拶されたことがある。ちょうどロイヤルアスコット競馬の時期でね、世界各地から馬主たちがロンドンに来ていたんだな。「ジャパニーズ?」ってうれしそうに笑って聞かれたけど、思えばあの頃はまだ、世界における「ジャパン」ブランドの価値は高かったんだなー。今はもう見る影もないほど下落しちゃってるけどね、ん。
 そういえば、ホテルにも投資している世界の王室ってけっこういたんだよなぁと思って、あらためて調べてみた。
 まず、世界の王室っていったいどのくらいあるのかというと、26くらいあるらしい。なかでも有名なのはなんたって英国王室で、ロンドンのリージェント・ストリートなんかも王室保有で資産は約1兆円って聞いて、へぇ〜、すごいんだなぁと驚いたけど、いわゆる “金持ち度” でいうと、実は英国王室はそれほどたいしたことがない。ベスト10にも入らない。

すごーく大金持ちな王室ってどこ?

 じゃあ、どこの王室が大金持ちなのか?

 1位は、なんとアジアの王室で、タイ王室。そう、あの王様がずっと国を離れてドイツのホテルを1軒借り切って側室たちと暮らしているっていう。実はタイ王室は世界一の金持ち王室で、資産は約300億ドル(約3兆3420億円)。これはタイの国家予算の約三分の一に相当するっていうから凄いねぇ。ちなみに前王の故ラーマ9世の遺産は約6兆円と言われている。こうした莫大な王室資産を管理しているのは王室財産管理局で、ドイツのホテルチェーンのケンピンスキも1994年までは過半数の株式を所有していた。2017年に売却して、現在の筆頭株主はバーレーン王族。

 2位は、これもアジアの王室で、ブルネイ王室。国王の個人資産は200億ドル(約2兆2300億円)で、こちらはなんと、国家予算の4倍を超える! 王室資産は財務省が管轄する政府系ファンドのブルネイ投資庁が運用しているが、ブルネイ王室は、超高級クラスのホテルを集めたドーチェスター・コレクションのオーナー。ロンドンのザ・ドーチェスター、パリのムーリス」「プラザ・アテネ、ロサンジェルスのビヴァリーヒルズ・ホテル」「ベル・エアとか、もうきれいどころばかり…じゃなかった、選りすぐりの高級ホテルがそろっている。ブルネイ投資庁の運用担当者って、もしかして、ホテルジャンキー? ってくらい。 2014年にはイスラム刑法の鞭打ち刑を導入したことから、ハリウッド俳優やリチャード・ブランソン率いるイギリスのヴァージン・グループなどからこれらのホテルのボイコット運動が起きたことがあったね。あとブルネイの首都には、自称・7ツ星ホテルのジ・エンパイア・ブルネイ客室数522室も所有している。
 ブルネイの王族たちって旅好きなのか、けっこうよくあちこちで会うんだよね。パリの「ムーリス」の三ツ星レストランでディナーしてたとき、真ん中に大きな丸テーブルが用意されてるなぁと思ってたら、子ども連れのアジア系のファミリーが10人くらいどやどややってきて、コーラを飲みながら、ハンバーガーのようなものを食べ始めた。シェフの料理を堪能していたほかのゲストたちはみなギョッとして驚いた。ここで、なぜ??? ギャルソンに聞いたら「ホテルのオーナー・ファミリーなんで、すみません」とのこと。

 そして、3位はサウジアラビア王室。資産180億ドル。サウジについては後で詳しく書く。ちょっと毛色が違うんでね。

 4位はアブダビで、5位はデュバイ。デュバイは1990年代の終わりにオイルが枯渇した後を見すえて観光に舵取りを切り替え、ご存知のように今やデュバイはグローバルホテルブランドが集中する世界有数のホテルパラダイスシティと化している。1999年には、当時世界で最も(高さがね)高いホテルブルジュ・アル・アラブをわざわざ海上に建ててオープンした。このホテルをはじめ、世界各地に「ジュメイラ」ブランドのホテルを所有・運営するジュメイラ・グループは、現首長のシェイク・モハメドがオーナーで最高責任者をつとめるデュバイ・ホールディングの傘下企業。

 6位、7位になって、初めてヨーロッパの王室が出てくる。けど、ルクセンブルク、リヒテンシュタインと小国ばっか。8位がモロッコで、9位がカタール。

 で、10位がモナコ王室。面積が2キロ平方しかないっていう極小国だけど、アルベール2世の個人資産は10億ドル(約1114億円)…って、なんか少ないような気がするのは、だんだん感覚麻痺してきたからだね。モンテカルロにある「カジノ・ドゥ・モンテカルロ」やオテル・ドゥ・パリとかみんな SBM社の所有なんだけど、モナコ王室がこの会社の大株主。

 というわけで、王室って、どこもすごい資産家だし、積極的に資産運用もしてる。そういえば、エリザベス女王が個人資産をタックスヘイブンへ投資しているって、一時話題になったことがあったね。

サウジアラビアのアルワリード王子は世界有数のホテルオーナー

 さて、サウジアラビア王室のお話。
 サウジ王室も国内外にホテルを所有しているけれど、サウジといえば、ホテルオーナーといえば、この人を忘れることができないのが、アルワリード王子
”アラビアのウォーレン・バフェット”と呼ばれる投資家。アラブ一の大富豪ともいわれ、その資産は一時、320億ドル(約3兆5600億円)と想定されたけど、2017年、♬あーる日突然、サウジ政府によって汚職容疑で拘束され、首都リヤドの「リッツカールトン・リヤドに留置された。3ヶ月間の拘留の後に莫大な和解金を払って釈放されたが、逮捕によりアルワリード王子保有の企業の株価が暴落し、資産は一時152億ドル(約1兆7100億円)にまで減少したと言われた。
 このアルワリード王子だが、王子とはいうものの、出自がサウジ王室では主流のベドウィン族ではなく、そもそも父親が王位継承権を放棄したという名ばかりの王族。リヤドの士官学校を出た後、アメリカの大学に留学。自らの才覚と力で、投資ビジネスによって莫大な富を築いてきた、と巷では言われている。とはいっても、自分の会社の名前にキングダム・ホールディング・カンパニーなんて、王族であることをちらつかせるような名前をつけてるし、サウジ王家に連なる一族であることがビジネス界でもプラスに働いたにはちがいない。1991年にシティバンクを救済したことで一躍投資ビジネス界で名をあげ、以後、有名ブランドへの投資を積極的に行うようになった。パリのジョルジュサンク・ホテルなんかもそのひとつだ。
 ホテルは彼にとってかっこうの投資対象のようで、いろいろ手を出している。2006年にはカナダの「フェアモント・ホテルズ&リゾーツ」を買収し、同年、「ラッフルズ・インターナショナル」も買収して合体させ、フェアモント・ラッフルズ・ホテルズ・インターナショナル (FRHI)に名称変更した。そして、2007年にはフォーシーズンズ・ホテルズ&リゾーツを37億ドル(当時のレートで4,491億円)でビル・ゲイツと共に買収した。2010年にはFRHIの40%の株式をカタール資本に売却。スイスのホテル運営会社モーヴェンピックも一時所有していたが、2018年にアコー・グループに66.7%の株式を売却した。また、アラブ最大のエンターテイメント企業で傘下にロターナ・ホテルズ&リゾーツを持つロターナ・グループも所有。
 ついでにいうと、首都リヤドのサウジで一番高層ビルのキングダムセンターも彼のもの。

 あらためてこうして書いてみると、世界の王室って、けっこうホテル界に深く関わっているんだね。
 というわけで、また「王室とホテル」続編とか書いてみたいと思う。乞うご期待!

いま中国のホテル界、どうなってる?

ユーラン・グループ創業者&CEOのジャスティン・K・F・マ氏 (c)Yangsen

ヤンセンです。

 最近、中国をめぐる国際事情がいろいろ緊迫気味だけど、世界各地ではさまざまな分野に中国資本が侵出している。それはホテル界も同じで、気がつけば、そこもここもみんな中国資本って感じになってきている。そんなわけで、今回は、いまの中国のホテル界事情がどうなってるか、みてみたい。
 中国の場合、いわゆる個人が起業した私企業と国営企業のふたつがある。
 まず、私企業の場合だが、中国というお国柄、彗星のごとく登場してわが世を謳歌したと思ったら舞台は一転して暗転、一寸先は闇という例がやたらと多い。
 ウォルドルフ=アストリア・ホテルの今でも書いたけど、アメリカの名門ホテルを次々に買収し、ニューヨークの「ウォルドルフ=アストリア・ホテル」まで手に入れたのに、ある日突然、ぜんぶ国に取り上げられ、挙げ句の果てに逮捕されたのは、安邦保険集団の呉小暉氏ことミスター・ウー。彼の場合、そもそも成り上がる過程で使ってきた「この印籠が見えぬかぁ〜」という黄門様の印籠は、妻が鄧小平の孫娘だということだったが、権力闘争の構図が変わったことで最終的に逆にマイナスに働くことになってしまったケース。
 そして、かつてヒルトンの25%の株式を取得して一躍世界のホテル界にその名を知らしめた海南省を拠点としていた海航集団(HNA)の場合も、2017年にはフォーチュン・グローバル500リストの170位にランク入りして世界各地でホテルチェーンの買収話となると常に名前が挙がっていたのだが、2018年、共同創業者&会長の王健氏が、南仏を旅行中、謎の事故死を遂げ、今年の1月には破綻した・・・。
 とりあえずなんだかんだとサバイバルしているのは、中国の『ホテル王』と呼ばれる男でも書いた、ホワズー・グループ(華住集団有限公司)の創業者&CEO、JI Qi 季琦氏。同グループは中国国内の350以上の都市で3,000軒を超えるホテルを所有経営しており、世界第12位の規模。季琦氏も、2020年のフォーブス誌の「チャイナ・リッチ・リスト」で178位にランクイン。彼みたいな完全なセルフメイドマンってのはやっぱり中国でも珍しいね。まあ、ジャック・マーの例もあるし、あまり突出しないよう目立たないように努めてきたようだけれど、さて、これからどうなるかってとこだね。
 次に、国営企業グループ。
 いま中国最大のホテルグループと言われているのは、上海に拠点を置く錦江(ジンジャン)インターナショナル。上海の名門ホテル錦江飯店和平飯店(フェアモント・ピース・ホテルのオーナーでもあるけど、この会社は2003年に上海市人民政府が設立した国有企業。上海は中国のなかでも特殊な存在で、特別行政区として大きな自治権を持ち、他の省より格上。長い間、江沢民氏の支配下にあったけれど、昨年7月、上海市のトップについたのは習近平国家主席の側近で「習軍団」のメンバーと言われる李強氏。上海の勢力図がこれで大きく変わったと言われている。
 中国という国は、ちょっと外から見ているだけではわかりにくいんだよね。まず、中国という国の “利権” を握っているのは次の3つだってことがわかってないと、いろいろなことが理解できない。
 まず、「党」(共産党)。
 次に、「軍」。
 そして、「省」というほかの国でいえば「国」のような大きな力を持つ地方の自治体と、上海のような特別行政区。
 これらの3つで利権を分け合っているのが中国の現状だ。
 上海のあるホテルで「このホテルのオーナーはどこ?」って聞いたら、「軍です」って返事が返ってきたことがあるけれど、まあ、オーナーである「軍」にとってそのホテルは外郭団体のようなものだね。
 「錦江(ジンジャン)インターナショナル」が、どこと(誰と)どうつながっているのかはよくわからないけど、ここ数年、海外のホテルグループを次々と買収してきている。2015年にフランスのルーブル・ホテルズ・グループをアメリカのスターウッド・キャピタル・グループから12億1千万ユーロ(約1,600億円)で買収。同年9月にはキーストーン・ロッジング・ホールディングス、2019年にはラディソン・ホテル・グループを買収。フランスのアコー・グループにも投資している。
 そんななかで、まだ粒は小さいながら若手のホテリエたちも登場してきている。そのひとつが、香港を拠点にするユーラン・グループ。創業者のジャスティン・K・F・マ氏は、英国の全寮寄宿学校を卒業した後、アメリカのサンフランシスコ大学でホスピタリティー・ビジネスを学び、建築に興味があったのを生かしてホテル会社を起業した。今月、香港にフラッグシップホテルとなるジ・アクラ・ホテルを開業した。
 中国本土でも、彼のように欧米に留学し、海外経験も豊富で、建築やデザインに興味がある若者たちがホテル界に参入してきている。まだ大きな勢力になるには至っていないが、インドのOYOリテシュ・アガワル氏がそうだったように、そろそろ若い力が世界のホテル界に躍り出てくるのではないかと僕は期待している。
 僕がはじめて中国に行ったのは1987年の夏。天安門事件が起きる2年前で、中国が開放政策をどんどん進めていた頃だった。北京では中国で初めての外資系ホテルという「ホリデイイン北京」に泊まり、このホテルの中だけは白人ゲストばかりでまるで租界のようだったが、上海で泊まった「和平飯店」「錦江飯店」は老朽化したままあちこちに埃がたまっているような状態だった。その後、訪れる度に中国のホテル事情は大きく変わって行ったが、同時に、世界各地の街角で出会う若い中国人旅行客たちも変わってきた。外の世界を知った彼らがこれから中国のホテルをどう変えていくのか、楽しみだ。